背油ラーメンの歴史の中ではよく「高度経済成長期」に生まれたと言われるが、昭和十二年から十三年頃にはすでに原型はあった。
これを裏付けるに昭和八年に燕市玉虎堂製作所で働いていた人が「映画を観た後に、福来亭で中華そばを食べる事が何よりもの楽しみだった。今の背油ラーメン より油が多かった」と話している記録が残っているという。この方は徴兵されているので戦前には間違いなく背油ラーメンがあった事になる。
太い麺に煮干し出し汁、豚の背油がのった物を背油ラーメンの定義とするならば、創始者は中国、浙江省温州出身の徐昌星さんであろう(現杭州飯店店主 の父)徐さんは昭和九年頃に屋台を引いて燕市にやってきた。これは燕商工会議所の三十周年記念誌にも「昭和九年、燕市で中華そばが広まる」という記述があ るので間違いない。昭和九年は昭和三年と比べ燕市で洋食器を扱う事業所の数が約三倍となり、職工さんの数は約二倍になった時
期である。
徐さんは「どうも燕の景気が良いらしい」と聞いて、来燕し中央道り四に屋台を置いた。昭和九年当時のものは髪のように細い麺、あっさりスープであっ たが、職工さんより腹持ちの良い太麺で味を濃くして欲しいなどのリクエストがあり本来の姿に改良された。背油を入れたのは塩辛い味をマイルドにするため だったという説と出前の際に(なんと、1日に800杯ものラーメンの出前をなんと、バスに乗っけてやっていたという)冷めにくくするために背油で蓋をした という説など様々である。
出典:燕三条ラーメン王国HP ( http://www.tsubamesanjo-ramen.com/ )